公開:2017年
原作:貫井徳郎
監督:石川慶
脚本:向井康介
主演:妻夫木聡
満島ひかり
小出恵介
臼井あさ美
松本若菜
あらすじ
閑静な住宅街でエリートサラリーマン・田向一家が殺害される。犯人が分からないまま1年が経った頃、週刊誌記者・田中が事件の真相を求めて取材を始める。
殺害された田向浩樹やその妻・友季恵の関係者の証言からは、一見幸せそうに見える田向夫婦の隠された顔が明らかになっていく。そんな中、ついに犯人の姿が見えるのだが…。
ぐったり…
もう何と言うか…見終わった後、ぐったりします。
「蜘蛛の糸」のように、上から細い一本の糸が垂れ下がっていて、助かろうとする人々が我先にと群がっている。
細い糸は今にも切れそうで、焦った先頭の人間は糸を足元で切ってしまう。糸と共に落ちて行く人々。
でもその落ちたはずの人間が、今度は糸を切った者の手元で、糸をプツンと切ってしまう。
結局誰も救われることはない。
そんな感じの映画です。ぐったりしますでしょう?
「グロテスク」という小説
この映画を観て思い出したのは桐野夏生の小説「グロテスク」でした。
主題がどことなく似ています。
1997年に起きた「東電OL殺人事件」をモチーフにした作品なんですが、私立Q女子高で繰り広げられる女の世界のいやらしさが、これでもかというほど書かれています。
(Q女子高は小学校から大学まである私立学校で、モデルは東京の某有名校だ言われていました)
日本は階級社会だということ、そしてその階級を女性が登るためには「美貌」が必要だと言うこと。
「グロテスク」の主題はこの2点。そしてそれは「愚行禄」の主題でもあります。
「ここは嫌らしいほどの階級社会なのよ。日本で一番だと思う。見栄がすべてを支配しているの。だから主流の人たちと傍流たちとは混ざらないの。」
<中略>
「でもたったひとつだけ主流に入る方法があるの」
「それは何」
「物凄く綺麗だったら何とかなる」
【「グロテスク・第二章 裸子植物」より】
*太字は私です
日本はね、格差社会じゃなく階級社会なんですよ。(田向)浩樹はそのことをあの当時から肌で感じ取ていたんです。
【「愚行禄」田向の元恋人・稲村恵美のセリフ】
「グロテスク」にはユリコという<怪物のような美しさ>を持った少女が登場します。
ユリコはその美貌を武器にQ女子高での地位を得ますが、極めつけは自身の売春です。
同級生の男子生徒と共謀し、系列大学の有力者(内部出身の学生)に自分を売るのです。
それは「愚行禄」の夏原友季恵も同じです。
ただし夏原友季恵は自分ではなく光子を売るのですが、相手はやはり有力な内部生でした。
内部生たち全員に彼女(光子)を取り次いだのが夏原さんなんです。
内部生が彼女(光子)を絶対に選ばない、そのことも分かったうえで。
光子さんの不幸は、美人だったことです。
【「愚行禄」宮村淳子が田中に言ったセリフ】
夏原友季恵の悪事
夏原友季恵がしたこと。
それは、自分のライバルになるかもしれない女性を、あらかじめ潰しておくことだったのではないかと思うのです。
光子も宮村淳子も友季恵の方から近づいています。
<ユイ>と呼ばれていた学生にはあんなに無関心だったのに。
なぜ?
たぶんそれは、2人が<美人>だったからではないでしょうか?
美人で上昇志向が旺盛。つまり自分のライバルに成り得るということ。
(夏原さんは)取り巻きに自分の真似をすることは許すけど、同列になることは認めないんです
(「愚行禄」宮村淳子のセリフ)
「友季恵の被害者は他にもいる」と宮村淳子は言いますが、全員同じタイプの美人だったのではないのかな?
自分のライバルになる恐れのある女子学生を片っ端から潰した?
しかも内部生との繋がりを保つために利用することも忘れなかった?
やっぱり、一番恐ろしいのは友季恵です。本当に怖い女です。
光子の見た夢
劇中の女の子たちが、自分自身で身を立てようとしない様子を見ていると、なんだか時代錯誤な気がしてもどかしいです。
光子はなぜ、あの大学を選んでしまったのか。
「名門」という響きに惑わされた?
結婚して子供を育てて、家族で暮らすことが夢だったから?
光子はすさまじい逆境の中で育ったにもかかわらず、気持ちがすれていない純粋な子のように思います。
ただ夏原友季恵に憧れ、友季恵のようになりたいと願っただけ。
友季恵の向こうに、光子が夢見た世界があったのかもしれない。
優越感もあっただろうけど、それよりも友季恵から離れたくなかった、だから友季恵の悪意から抜け出せなかったのではないのかな…
光子は辛い時に笑う子です。
内部生の別荘で迎えた朝、相手の男子学生が光子を見下し、火遊びの相手としか思っていないことを知ります。
あの時も光子は笑っていた。
実の兄・田中との間にできた子供が亡くなったと聞いた時も、やっぱり光子は笑う。
辛い時に笑うことで、いろんなことを我慢してきたのかもしれません。
光子が哀れでなりません。とっても悔しいです。
同列の中の争い
「愚行禄」も「グロテスク」も構図は同じ。
特権階級とされる「内部生」は、基本、何もしません。
特別に悪いこともしない代わりに良いこともしない。ただいつも同じ仲間でつるんでいるだけです。
そんな彼らに取り入りたくて、<その他>とされている人達が争っている。
まさに細い糸に群がる人々のように。
たとえ争いに勝ったとしても、彼らが内部生の本当の仲間になることはありません。
それは夏原友季恵も同じす。
友季恵が宮村淳子から奪った男性も結婚した相手も、内部生でも内部生のような人でもありませんでした。
友季恵が結婚相手に選んだのは、彼女と鏡写しのような男性・田向浩樹でした。
夏原友季恵は本当はどう思っていたんでしょうねぇ?
彼女の気持ちが語られることはないのですが、その心の内にあったものは何なのか、それが知りたいです。
人の世で最もグロテスクな問題、「努力で生まれを超えられるのか」。
夏原友季恵ならどう答えたでしょうね。
まとめ
長くなってしまいましたが、まとめです。
この映画には嫌な奴がたくさん出てきます。
実の娘・光子(田中の妹)に性的虐待を続けていた父親、
ネグレクトをした挙句、父親の虐待は光子が誘惑したせいだと言う母親、
立身出世のために女性を利用する男・田向浩樹、
自己愛を満足させるために他人を陥れる女・夏原友季恵。
でもねぇ…
彼らを<悪い奴>と言いながらも、考えてみればその悪意は、自分の中にも火種のようにあるかもしれない悪意なんですよね。
性的虐待は<悪>の種類が違うので別とします。
でもそのほかの事に関しては、人間なら誰しも持っている負の感情なんじゃないかなぁ。
程度の差はあれ、実際にするかどうかは別として。
<人間の業>というか、<自分を守りたい>と思う、生物としての本能というのかな…
とにかく、これは元気な時に観ましょう。精神的に疲れている時に観る映画ではありません。
でも面白い映画であることは間違いないです。
できれば真夏にご覧いただければと思います。
最後の最後に疑問を1つ。
殺害された田高夫妻の家には、宮村淳子が経営するカフェにあった<リース>と同じものが飾られていました。
あの意味は?
ものすごく気になります。