旬でない映画とドラマの感想文

映画を肴に人間観察・全編ネタバレあり

映画【愚行禄】 「努力で<生まれ>を超えることはできるか?」についての、ひとつの残酷な答え【ネタバレあり】 

 

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出典:yahoo!映画

 

 

◆基本情報◆

公開:2017年

原作:貫井徳郎

監督:石川慶

脚本:向井康介

主演:妻夫木聡

   満島ひかり

           小出恵介

   臼井あさ美

   松本若菜 

 

あらすじ

閑静な住宅街でエリートサラリーマン・田向一家が殺害される。犯人が分からないまま1年が経った頃、週刊誌記者・田中が事件の真相を求めて取材を始める。

殺害された田向浩樹やその妻・友季恵の関係者の証言からは、一見幸せそうに見える田向夫婦の隠された顔が明らかになっていく。そんな中、ついに犯人の姿が見えるのだが…。

 

www.youtube.com

 

映画『愚行録』公式サイト

  

 

ぐったり…

  

もう何と言うか…見終わった後、ぐったりします。

 

「蜘蛛の糸」のように、上から細い一本の糸が垂れ下がっていて、助かろうとする人々が我先にと群がっている。

 

細い糸は今にも切れそうで、焦った先頭の人間は糸を足元で切ってしまう。糸と共に落ちて行く人々。

 

でもその落ちたはずの人間が、今度は糸を切った者の手元で、糸をプツンと切ってしまう。

 

結局誰も救われることはない。

 

そんな感じの映画です。ぐったりしますでしょう?

 

「グロテスク」という小説

 

この映画を観て思い出したのは桐野夏生の小説「グロテスク」でした。

 

主題がどことなく似ています。

 

1997年に起きた「東電OL殺人事件」をモチーフにした作品なんですが、私立Q女子高で繰り広げられる女の世界のいやらしさが、これでもかというほど書かれています。

 

(Q女子高は小学校から大学まである私立学校で、モデルは東京の某有名校だ言われていました) 

 

日本は階級社会だということ、そしてその階級を女性が登るためには「美貌」が必要だと言うこと。

 

「グロテスク」の主題はこの2点。そしてそれは「愚行禄」の主題でもあります。

 

ここは嫌らしいほどの階級社会なのよ。日本で一番だと思う。見栄がすべてを支配しているの。だから主流の人たちと傍流たちとは混ざらないの。」

 

<中略>

 

「でもたったひとつだけ主流に入る方法があるの」

「それは何」

「物凄く綺麗だったら何とかなる」

 

【「グロテスク・第二章 裸子植物」より】

 

*太字は私です 

 

 

日本はね、格差社会じゃなく階級社会なんですよ。(田向)浩樹はそのことをあの当時から肌で感じ取ていたんです。

 

「愚行禄」田向の元恋人・稲村恵美のセリフ】

 

  

「グロテスク」にはユリコという<怪物のような美しさ>を持った少女が登場します。

 

ユリコはその美貌を武器にQ女子高での地位を得ますが、極めつけは自身の売春です。

 

同級生の男子生徒と共謀し、系列大学の有力者(内部出身の学生)に自分を売るのです。

 

それは「愚行禄」の夏原友季恵も同じです。

 

ただし夏原友季恵は自分ではなく光子を売るのですが、相手はやはり有力な内部生でした。

 

内部生たち全員に彼女(光子)を取り次いだのが夏原さんなんです。

 

内部生が彼女(光子)を絶対に選ばない、そのことも分かったうえで。 

 

光子さんの不幸は、美人だったことです。

 

「愚行禄」宮村淳子が田中に言ったセリフ】

 

夏原友季恵の悪事

 

夏原友季恵がしたこと。

 

それは、自分のライバルになるかもしれない女性を、あらかじめ潰しておくことだったのではないかと思うのです。

 

光子も宮村淳子も友季恵の方から近づいています。

<ユイ>と呼ばれていた学生にはあんなに無関心だったのに。 

 

なぜ?

 

たぶんそれは、2人が<美人>だったからではないでしょうか?

美人で上昇志向が旺盛。つまり自分のライバルに成り得るということ。

 

(夏原さんは)取り巻きに自分の真似をすることは許すけど、同列になることは認めないんです

 

(「愚行禄」宮村淳子のセリフ)
 

「友季恵の被害者は他にもいる」と宮村淳子は言いますが、全員同じタイプの美人だったのではないのかな?

 

自分のライバルになる恐れのある女子学生を片っ端から潰した?

しかも内部生との繋がりを保つために利用することも忘れなかった?

 

やっぱり、一番恐ろしいのは友季恵です。本当に怖い女です。

 

光子の見た夢  

 

劇中の女の子たちが、自分自身で身を立てようとしない様子を見ていると、なんだか時代錯誤な気がしてもどかしいです。

 

光子はなぜ、あの大学を選んでしまったのか。

「名門」という響きに惑わされた?

結婚して子供を育てて、家族で暮らすことが夢だったから?

 

光子はすさまじい逆境の中で育ったにもかかわらず、気持ちがすれていない純粋な子のように思います。

 

ただ夏原友季恵に憧れ、友季恵のようになりたいと願っただけ。

 

友季恵の向こうに、光子が夢見た世界があったのかもしれない。

 

優越感もあっただろうけど、それよりも友季恵から離れたくなかった、だから友季恵の悪意から抜け出せなかったのではないのかな… 

 

光子は辛い時に笑う子です。

 

内部生の別荘で迎えた朝、相手の男子学生が光子を見下し、火遊びの相手としか思っていないことを知ります。

 

あの時も光子は笑っていた。

 

実の兄・田中との間にできた子供が亡くなったと聞いた時も、やっぱり光子は笑う。

 

辛い時に笑うことで、いろんなことを我慢してきたのかもしれません。

 

光子が哀れでなりません。とっても悔しいです。

 

同列の中の争い

 

「愚行禄」も「グロテスク」も構図は同じ。

 

特権階級とされる「内部生」は、基本、何もしません。

 

特別に悪いこともしない代わりに良いこともしない。ただいつも同じ仲間でつるんでいるだけです。

 

そんな彼らに取り入りたくて、<その他>とされている人達が争っている。

 

まさに細い糸に群がる人々のように。

 

たとえ争いに勝ったとしても、彼らが内部生の本当の仲間になることはありません。

 

それは夏原友季恵も同じす。

 

友季恵が宮村淳子から奪った男性も結婚した相手も、内部生でも内部生のような人でもありませんでした。

 

友季恵が結婚相手に選んだのは、彼女と鏡写しのような男性・田向浩樹でした。

 

夏原友季恵は本当はどう思っていたんでしょうねぇ?

 

彼女の気持ちが語られることはないのですが、その心の内にあったものは何なのか、それが知りたいです。

 

人の世で最もグロテスクな問題、「努力で生まれを超えられるのか」。

 

夏原友季恵ならどう答えたでしょうね。

 

まとめ 

 

長くなってしまいましたが、まとめです。  

 

この映画には嫌な奴がたくさん出てきます。

 

実の娘・光子(田中の妹)に性的虐待を続けていた父親、

 

ネグレクトをした挙句、父親の虐待は光子が誘惑したせいだと言う母親、

 

立身出世のために女性を利用する男・田向浩樹、

 

自己愛を満足させるために他人を陥れる女・夏原友季恵。

 

でもねぇ…

彼らを<悪い奴>と言いながらも、考えてみればその悪意は、自分の中にも火種のようにあるかもしれない悪意なんですよね。

 

性的虐待は<悪>の種類が違うので別とします。

 

でもそのほかの事に関しては、人間なら誰しも持っている負の感情なんじゃないかなぁ。

程度の差はあれ、実際にするかどうかは別として。

 

<人間の業>というか、<自分を守りたい>と思う、生物としての本能というのかな…

 

とにかく、これは元気な時に観ましょう。精神的に疲れている時に観る映画ではありません。

 

でも面白い映画であることは間違いないです。

できれば真夏にご覧いただければと思います。 

 

 最後の最後に疑問を1つ。

 

殺害された田高夫妻の家には、宮村淳子が経営するカフェにあった<リース>と同じものが飾られていました。

 

あの意味は?

ものすごく気になります。

 

短編映画【そこにいた男】 *恋愛には危険がいっぱい【ネタバレあり】*

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出典:movie walker press

 

 

◆基本情報◆

 R-15指定

公開:2020年

監督:片山慎三

脚本:岨手由貴子

主演:清瀬やえこ

   安井秀和

 

上映時間:34分

 

あらすじ

撮影所で雑用係として働く紗希は、<翔>と名乗る俳優と出会う。翔の望みをかなえるために紗希は借金を重ね、撮影所の資金を盗んでまで翔に貢ぐ。ところがある日、紗希は翔の秘密を知ることになる。そして秘密を知った紗希は…。

 

www.youtube.com

 

監督インタビュー

 

 

片山慎三監督が、2019年に起きた「新宿ホスト殺人未遂事件」に着想を得て制作した映画です。

 

34分という短編ですが、これ以上伸ばさない方が良いと思うほど中身の濃い作品になっています。

 

題材としてはよくある話なんですが、見せ方が上手い。

引き込まれたままあっという間に終わる、そんなパンチのある作品です。

 

特にラストの数分がものすごく良いです。

 

映画のヒロイン・紗希は、全く何も報われることなく最後の狂気に至るのですが、このラストだけには救いがあります。

 

映画を観終わった後に、う…んと唸ってしまうのは、このラストがあるからかもしれません。 

 

恋は盲目

 

「紗希の気持ちなんて全然わからんわ!」という女性は、非常に少ないのではないでしょうか。 

紗希が抱える悩みや思いは、誰にでも経験があると思うんです。

 

好きになってしまったら、その人にとっての<特別な存在>になりたい、その人の一番でいたいと思うのは普通の感情だと思います。

 

喜んでくれればうれしい、何でもしてあげたいと思ってしまう。

 

恋は盲目とはよく言ったもので、紗希はまさしくこの状態。

 

周りが見えないと言うか、自分でどんどん社会を閉じていくんです。自分と相手と2人だけ、そんな状態にしてしまいます。

 

麻薬のような男

 

紗希の腕には、無数のリストカットの跡がありました。

 

彼女はきっと生きにくい人なんでしょうね。

承認欲求が人一倍強いのかもしれません。

 

これまでに付き合った相手も、ろくな人がいないというようなセリフがありました。

 

そういう人に限って、翔のような男に引っかかる。

 

翔は紗希にとって<麻薬>のような男です。

 

紗希の満たされない思いを強烈に補ってくれる。だからやめられない。 

 

翔にとって紗希は単なる金づるであり、何でも言うことをきく<都合のいい女>でしかない。

 

2人には恋愛関係が成立してないから、紗希はいつまでも尽くなければならない。

 

結局のところ紗希は、最初から最後までずっと<片思い>だった。

  

傍から見ればそれがわかるんですが、当人には…ムリですよね。

  

天性の詐欺師

 

翔が紗希を操るためにやってることって、非常に単純な方法です。

 

例えば、子供に対して何か課題を与えて、できれば「良くやったね」とほめる。すると子供は嬉しいもんだから、次の課題に挑戦するようになる。

 

翔は、あれが欲しいとか、これをしてほしいとか、<特別な存在になるための課題>を紗希に与えるんです。

達成できれば「うれしいよ」と誉める。

 

紗希は嬉しいし期待するもんだから、また課題を達成しようとする。これの繰り返し。

 

しかも翔は「あれが欲しい」とは絶対に言わないんですよね。

 

「かっこいいジャケットを見つけたんだ。あれを紗希が着たらいいだろうなぁって思ったんだよ」などと言う。

「彼氏のジャケットを着てる彼女って、かわいいと思わない?」と、とどめを刺す。

 

こういうのって天性のものなんでしょうね。口が上手いと言うか何といいうか…。

 

でもねぇ…、

ああいう男って…モテるだろうなぁと思う。

 

紗希も言っていましたが、「私だけが彼をわかってあげられる」と、ついつい思ってしまうんですね。

 

男性から見れば、あんな軽薄な男、と思うでしょうけど(それが正しい!)、女性にはああいう悪そうな<詐欺師>みたいな男に惚れてしまうとこがあるんです。

 

「自分がこの人を守るんだ!」みたいな気持ちというのか、「私がこの人を変えるんだ!」とかね。

 

そうすれば、自分の存在価値を実感できるからかなぁ?

 

何でもそつなくこなす人は「すごいなぁ」と尊敬するけれど、「強烈に惹かれる」というのは…ないのかもしれませんねぇ。

 

女性というものは、男性の弱いところ足りないところに惚れてしまう…。 

 

だからたまに間違って<正真正銘の足りない男>に惚れてしまったりするんでしょうかね。

 

恋愛は恐ろしい

 

恋愛って、本当はものすごく怖い事なんだと思います。

 

良く知らない相手と親密な関係になるのは、考えてみればものすごく危険なことですよね。

 

たとえ「どこの誰々」と知っていても、それ以上の事ってわからないし、「どこの誰々」だって本当かどうかわからない。

 

中身なんてもっとわからない。

 

DVかもしれない、性格的に欠陥のある人かもしれない。すんなり別れられればいいけれど、ものすごくもめることだってある。

 

結婚詐欺師なんかに引っかかれば、それこそ悲惨。気持ちの他にお金さえ取られてしまうんですから。

 

<クヒオ大佐>という堺雅人さん主演の映画がありましたが、あれ、ほぼ実話ですからね。

 

カメハメハ大王とエリザベス女王の親戚って、「そんなもん、ありえへんやろ」と思うんですが、信じちゃったんでしょうねぇ…。

 

ついこの間(2020年11月)も、「マーク・ジェリー少佐」に騙された58歳の女性がいました。

 

SNSの交流サイトに軍人は来んやろ、と思うんですけど、当人は真剣だったでしょうからお気の毒です。

 

  

まとめ 

 

これは、どうまとめたらいいのやら。

 

映画もドラマも小説も、世間ではなにかと<恋愛>に過大な価値を置きたがるけれど、どうしても恋愛しないといけないとか、そんなことはないからね。

 

モテるとかモテないとか、人間の価値とか重要性はそんな所にはないし、ある年齢を過ぎればモテるってこと自体が危険なことにもなってくるから。

 

恋愛感情は<突然に仕方なく>持ってしまうものだから、そうなってしまったら諦めて浸っているしかないけれど、持たないなら持たない方が良いと思うよ。

 

時間も気力もお金も、恋愛に奪われなくて済むからね。

 

なんだか身も蓋もないような話になっておりますが、

恋愛には危険がいっぱいということで、本日はお開きとさせて頂きます。

 

たいへん興味深い映画です。ぜひ一度ご覧くださいませ。

 

 

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映画「愛しのアイリーン」 *R-15指定ですが、深い映画です【ネタバレあり】* 

 

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出典:yahoo!映画

 

◆基本情報◆

公開:2018年

原作:新井英樹

   (ビックコミックスピリッツ)

監督:吉田恵輔

主演:安田顕

   ナッツ・シトイ

   木野花

   品川徹

 

あらすじ

寒村で年老いた両親と住む42歳の宍戸岩男。一人息子を溺愛する母ツルは、何とか息子の嫁をと奔走するが、父親の葬式の日に、岩男はフィリピン人の妻・アイリーンを連れて帰ってくる。

頑としてアイリーンを認めないツルは、塩崎という女衒の甘言に乗せられアイリーンを連れ去るよう依頼する。 誘拐されたアイリーンを救おうとした岩男は、塩崎を猟銃で撃ち殺してしまう。

 

映画『愛しのアイリーン』公式サイト

 

 

人に「面白い」と言えない

 

北海道テレビの深夜番組「水曜どうでしょう」。

 

今ではすっかり有名になった番組ですが、よく大泉洋さんと一緒に出ていたのが安田顕さんでした(HTBのマスコットONちゃんですね)。

 

売れっ子になった安田顕さんですが、あの安田さんがさんが出ていると言うので見たこの作品。よっかたです~。 

 

ところがこの映画、<性的描写>があまりにも多い。 しかも女性向きの<美しい描写>ではないので困るんです。

 

面白い映画なのに、なかなか人に「面白い」と言えない…。

 

よそで言えないのなら「ここで言ってしまえ!」ということで、本日はこの映画としました。

 

主題は色々あるのですが、今回は岩男とツルを中心に語りたいと思います。

 

原作は読んでいないので、映画だけの感想となります。

 

 

壊れていく男・岩男  

 

閉塞感からの脱出 

 

話の舞台となるのは山間の寒村。田畑が広がるだけで何にもない田舎です。

 

同じ場所、同じメンバーだけで過ぎていく毎日。 

 

これはもう、見ているだけで息が詰まりそうになります。岩男のボソボソした態度が余計にそう思わせるのかもしれません。

 

そんな田舎町で、実家と勤め先のパチンコ屋をただ往復するだけの岩男。

諦めているのか現実を避けているのか、とにかく<覇気のない男>に見えます。

 

ところがある日、吉岡愛子という<本気は困る>という女にフラれ(あれはフラれたのか?)、岩男はついに壊れます。

 

コツコツためた400万円余りを持ってフィリピンに行くのですが、そこから岩男の人生は大きく変わっていくのです。

 

芽生えた愛と死

 

フィリピンに着いた岩男は、花嫁斡旋業者に300万円を払って18歳のアイリーンを<買い>ます。

 

アイリーンに惚れ込んだわけではなく、半ば自暴自棄で決めた結婚でした。

 

アイリーンにだって<愛>など1ミリもありません。ただ家族を養うために、岩男との結婚を決めるのです。

 

岩男、アイリーン、どちらにとってもそれは<お金で決めた結婚>でした。

 

ところが毎日を共に過ごすうちに、互いの心に少しずつ愛情が芽生えていくのです。

 

「お店…看板夜…自転車…」

 

町の商店街を、覚えたての日本語を言いながら歩くアイリーン。その後ろを行く岩男。

 

キラキラネオンの光に輝くアイリーン。

岩男はそっと言います。

 

おめぇ、きれいだなぁ。

アイリーン、愛してっどぉ。

<劇中より>

 

このままアイリーンと生きていけたら岩男はきっと幸せだっただろうなぁと、やるせない気持ちになるシーンです。

 

その後ツルがさし向けた塩崎という女衒にアイリーンは連れ去られ、奪い返そうとした岩男は、塩崎を猟銃で撃ち殺してしまいます。

 

殺人者になってしまった極度のストレスとアイリーンへの思いから、岩男は再び壊れ始めるのです。 

 

 

巣立とうとする子供と縛る親

 

岩男にきた見合い話を、何かと難癖をつけて断っていたツル(10回も)。嫁であるアイリーンを拒絶し続けるツル。

 

ツルは岩男の幸せを心から願っていたはずなんです。

ところがツルが願う幸せは、ツルの手の上でだけの幸せなんですね。

 

岩男が手の上から飛び立つことを、ツルは絶対に許さない。

 

ツルの<愛>によって岩男のささやかな幸せは破壊されて行くのですが、そうなって初めて、岩男は母を拒絶することができるのです。

 

岩男、おめぇには女はつかねぇ。

家と親を捨てられん男に女は惚れんよぉ。

<劇中より>

 

父・源造のセリフですが、実のある言葉です。

 

同居とか別居とか、そういう物理的な事ではなくて、気持ちの上で親を<捨てる>ことができないと、子供は巣立てないんだと思います。

 

<女がつく>とは、親から<独立する>ってことですよね。

 

家や親を捨てるって難しいのですが、それをさせるのは自分の家族を、配偶者や子供との生活を守りたいという強い思いではないでしょうか。

 

そう考えれば、子育ての最後の仕事は<子供に捨てられてやること>だと思いますね。

 

子供が大変な思いをしないで済むように、自分から立ち去るのが一番いいのですが、これも親にとってはたいへんな仕事です。

 

 ツルという女

 

岩男はツルの4番目の子供です。

1人目と2人目の子は流産。3人目は2歳で病死。4番目にやっと生まれたのが岩男です。

 

岩男の分娩中に発せられた姑の罵詈雑言。

あれを聞くと、きっとあの家にツルの居場所はなかったんだろうなぁと思うのです。

 

宍戸家の人々と、単なる労働者で子を産む嫁であるツル。そんな関係だったんじゃないかなぁ。

 

跡継ぎの岩男だけがツルの居場所であり拠り所だったのではないかと、ツルの異常な愛情を見ているとそう思ってしまいます。

 

源造がどんな夫だったかわかりませんが、想像するに、見て見ぬふりだったのではないあかな。

 

それでもツルへの愛情はあったのでしょうね。

 

ツルさん、これからいつもいっしょだぁ。

<劇中より>

 

新婚旅行で訪れた熱海の旅館で、そして死ぬ間際に、源蔵はツルにそう言います。

 

源蔵がもう少し長く生きていたら、岩男の結末も、もうちょっと違ったものになっていたのではないかなぁと、非常に残念になります。

 

幻の中で岩男を生むツル。その産声を聞いた瞬間にツルは亡くなります。

 

岩男を縛ることでしか生きられなかったツルは、なんとも哀れですよね…。

 

 

救いのない話

 

 映画ではわかりにくいのですが原作の解説を読むと、後半に岩男がアイリーンに冷たく接していたのは、アイリーンを殺人の共犯にせずに故郷フィリピンに帰すためだったそうです。

 

そういえばマリーンに「アイリーンをフィリピンに返す」と言ってましたね。

 

抑え切れないアイリーンへの思いを、冬山の木々に彫っていた岩男。木に彫られた「アイリーン」の文字には狂気さえを感じます。

 

墓標のような木々に見守られるように、岩男は雪の中で息絶えます。

 

いったい岩男に救いはあったのでしょうか。

なんだか…溜息しか出ません。

 

ラストのシーン、雪の中で岩男の声に振り向くアイリーン。

 

アイリーン、愛してっどぉ。

<劇中より>

 

 

良い映画です。

R-15指定ですが、そういうのが苦手でなければ、ぜひ見ていただきたい映画です。 

 

 

◆おすすめ情報◆

< 愛しのアイリーン>入ってます。

 

【原作マンガ】 

 

【電子版】 

映画「天気の子」  *この映画が大好き!という人はどうか読まないでください。超個人的な感想になります* <ネタバレあり>

 

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出典:映画.com

<strongネタバレあります 

 

◆基本情報◆

公開:2019年

監督:新海誠

主演:醍醐虎汰郎(穂高・声)

   森七菜  (陽菜・声)

 

あらすじ

16歳の帆高は離島の実家から家出をし東京にやって来る。泊まる場所もなく、お金もなく、毎日の生活が行き詰まっていく中で一人の少女・陽菜に出会う。陽菜には不思議な力が備わっていて、祈るだけで雨空を晴れに変えることができた。帆高と陽菜、そして陽菜の弟・凪の3人は、陽菜を中心に「晴れ女」の仕事を続けるが…。

 

映画『天気の子』公式サイト

 

 

今年(2021年)のお正月に地上波で放送されました。

 

見たい見たいと思いながらもなかなか機会がなく、この度やっと見たという感じです。

 

非常に話題になったので<いまさら感>がなくもないのですが、50代のおばさんが思う感想を書いてみようと思います。

 

違和感

  

新海誠監督の「君の名は」は大好きで、見終わった後にも余韻が残る映画でした。

でも「天気の子」にはそこまでの感動はなくて、なんだかわからないモヤっとした違和感が残っています。

 

その原因は、私がこの映画に感動するには少々歳を取り過ぎている、ということに尽きるのですが、その辺りをもう少し掘り下げてみたいと思います。

 

<陽菜>という少女

 

18歳と偽っていますが、本当はまだ15歳の少女・陽菜。

 

 「運命に翻弄されて生きている少女」…陽菜にはそんな副題を付けたくなるほど、ついてない人生です。

 

中学2年生で母親を亡くし(母は多分、シングルマザー)、その後は、弟との家計を支えるためバイトに明け暮れる毎日。

 

「晴れ女」の力を発揮することで束の間の喜びを知るけれど、そのせいで自分の体がどんどん透明になっていく、つまり人柱になってしまうという不安と絶望に襲われることになります。

 

 そう願ったわけでもないのに、「巫女」になってしまった陽菜。「巫女にされてしまった」と言った方が良いかもしれません。しかもその顛末が「人柱になる」だから最悪です。

 

運がないというか何というか、なぜ自分なんだ!と思ったでしょうね。

 

知恵も経験もネットワークもない15歳の女の子に、運命に抗うことはほぼ不可能です。嫌も応もなく、目の前の問題に対処していくだけで精いっぱいでしょう。

 

そんな陽菜にとって、帆高は希望の光だったに違いありません。

 

でも、君が私の意味を見つけてくれて、誰かを笑顔にできるのがうれしくて、私<晴れ女>を続けたの。

君に会えてよかった。だから泣かないで…帆高。 

 

<劇中より> 

 

運命の渦から、自分を引っ張り上げようとしてくれる人。

「人柱になんてならなくていいんだ」と、押し付けられた理不尽から解放してくれる人。

 

彼女が病院の窓から見た太陽の光。その先にあったのは、帆高の差し伸べる手だったのかもしれませんね。

  

<帆高>という少年

 

陽菜という<女神>に引き寄せられ、彼女を守ることに命を懸ける少年。

 

16歳の高校1年生ですが、高校生という年齢にしてはその行動は少々幼く感じます。

 

中学生と設定した方がしっくりくるほど、彼は「思春期そのもの」。<純粋>という言葉が最もよく似合う少年です。

  

人柱になった陽菜を助けるために必死に奔走する帆高。

 

陽菜にとって帆高が希望だったように、帆高にとっても陽菜は希望だったのでしょう。

2人の出会いがなければ、彼らの人生には希望はなかったのかもしれません。 

 

この場所から出たくて、あの光に入りたくて、必死に走っていた。

「追いつた」と思ったとたん、でもそこは行き止まりで、

あの光の中に行こう、僕はあの時そう決めて、

そしてその果てに、君がいたんだ。

<劇中より> 

 

郷里の離島で見た、雨雲の隙間から差し込む太陽の光。その先にあったものは、陽菜と帆高、2人が手を携えて歩む未来だったのかもしれませんね。

 

違和感の正体

 

ここまで書いて思いました、「なんだ、感動的な話じゃないか。」

 

そうなんです。話としては感動的なんです。でも感動しないのは、何故なんでしょう?

 

いろいろ考え込んでしまって、結局この映画を5回も観ることになってしまいました。「何やってんの?」という疲労感で満ちております…。

 

それでわかったことは非常に簡単なことで、私がこの映画に感動しない理由は、<思春期の子供と対峙する面倒臭さ>にあるんだろうな、ということです。

 

彼らの純粋さと情熱を見ていると非常に疲れます。帆高の焦った声までうるさく感じてしまう。

 

「え~、なにそれ」ですよね…。

 

「面倒臭さ」とは、例えば大人が小学1年生の授業を受けるような感じ、とでも言いましょうか。

わかりきったことをもう一度説明したり考えたりするのって面倒ですよね。それとどこか似ています。

 

彼らの<もがき>はその時期にしかできないもので、とても大事なことなんですが、

そういう自分との<ズレ>を受け入れて向き合うのって、ものすごいエネルギーが必要なんです。 

 

大人は<ズレ>の正体を感覚的にはわかっているんだけれど、それを相手が納得するように説明するのは非常に難しい。

 

言葉にするのがとても大変なんですね。

 

言葉で説明するのが難しいから、ついつい「言うことをきいていればいいんだ!」なんて大声はあり上げる親父になってしまう。 

 

大人と思春期の子供がもめるのって、こういうことかもしれませんね。

 

圭介は警察に追われる帆高に言いますが、それは正しい事なのです。 

 

おまえさぁ、明日実家に帰れよ、それで全部元通りだ。

だれにとっても、それがいちばんいい。もう大人になれよ、少年。

<劇中より>

 

子供にとっては、これほどつまらない答えはないのですが、でもそれが一番正しい答えでもあるのです。

 

<帰った方が良い家>がどんな家かにもよるのですが、

知恵と経験と人的ネットワークを持たない子供、つまり<後ろ盾のない子供>に社会は冷たいものです。 

 

だから未成年の子供は何かと守られているわけで、そんな無力な子供が3人寄っても、大したことにはならない(普通は、ですが)。

後ろ盾なしでも動けるようになるまで待ってろ、ってことなんですよね。

 

そう言われても、陽菜をほっとけない帆高の気持ちもわかるのですが。

 

同じ時間を生きた人間にはあ・うんの事でも、そうでない年代には説明がいる。

 

う~む、年代を超えた付き合いって…難しい。 学校の先生ってすごいなぁと、心からそう思います。

 

まとめ

 

この物語を私的に要約するなら、

「己を守る武器も盾も持たないまま社会に放り出された子供たちが、身に起こった難問を自分たちだけで解決しようと、もがき奔走する物語」

となるでしょうか。

 

観る人の年齢や性別、条件によって感想は様々だと思います。

 

機会があれば、陽菜や帆高と同年代の人はどんな感想を持つのか聞いてみたい。

 

「おばちゃん、何にもわかってないな!」と怒られるかも…ですね。 

 

日本のアニメはホントに絵がきれいです。改めてそう思うような美しい場面満載の映画です。

 

どんな感想を持つのか、ぜひ一度お試しください。

 

 

「天気の子」は550円~で配信中(2021年1月) 

 

 

 

映画「青天の霹靂」 *親の承認と人から認められる事がいかに大事か…そんなことを思う映画です。

 

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出典:阪急阪神東宝グループ

 

ネタバレあります。   

 

◆基本情報◆
公開:2014年 

原作:劇団ひとり

主演:大泉洋

   柴咲コウ 

   劇団ひとり

 

あらすじ

39歳の売れないマジシャンの晴夫は、母に捨てられ、父とは絶縁状態。ある日、父の訃報を聞いて絶望した晴夫は、気がつくと40年前の浅草にタイムスリップしていた。そこで若き日の父・正太郎と母・悦子と出会い、スプーン曲げのマジックで人気マジシャンになった晴夫は、父とコンビを組むことに。やがて母の妊娠が発覚し、10カ月後に生まれてくるはずの自分を待つ晴夫は、自身の出生の秘密と向き合うこととなる。

<映画.comより引用> 

 

 

誰かに認められるという事

 

進まない人生 

 

マジシャン&バーテンダーとして働く晴夫は、寝てしまったお客を前に、自虐的につぶやきます。

 

いつからかな…

自分を特別だと思わなくなったのは… 

 

「轟晴夫」という人をを見ていると、どうにもやるせない気持ちになります。

 

自分にも、自分の芸にも自信がなく、かといって何かに挑戦する気もない。

挙句には、上手くやっている後輩を「つまらない奴」と見下す始末。

人生に行き詰まる…それを地で行くような現状です。

 

そんな晴夫は過去にたった一度だけ、心躍る体験をします。

小学生の時に、披露したマジックでクラスのみんなから拍手喝采を受けたこと。

そして初めて、クラスの女の子からバレンタインデーのチョコをもらったこと。

 

晴夫は、そんな過去の一場面にしがみついて生きているように見えます。 

もうあんな喝采は二度とない。

そうわかっていても「有名なマジシャンになる」という夢が、生きていくための唯一の拠り所になってしまっているのでしょう

 

最高の贈り物は「自信」 

 

彼は決して<できない人>ではないのです。

タイムスリップした過去の世界では、マジシャンとして立派に成功します。

<古いマジックでも通用した>という技術的な事だけが、成功の要因ではないと思います。

 

自信無げにおそるおそる見せたマジックが、驚くほどの喝さいを受ける。

何をやってもうまくいかずに自信消失の中にいた晴夫は、

おそらくマジシャンになって初めての成功体験を得ます。

 

それからの晴夫は、新しいネタを考え、苦手だったはずの話芸にも挑戦するようになり、真剣に「芸」に向き合うようになって行くのです。

 

彼を変えたものは「自信」です。

自分は大丈夫と、自分自身を信じる気持ち。

 

でも残念ながらそれは、自分一人で生むことはできません。他人の支持と承認なしには湧き得ない感情なのです。

 

人に認められるという事が、如何に人生を変えるか。

 

大きな事でなくていい。

小さな成功体験をたくさん積み上げてくことが、

その人の人生を、少ずつ良い方向へと変えていくのだと思います。

 

生きる理由

 

答えのない問い 

 

親父…生きるって難しいな…。

毎日、惨めでよ…。

俺…何のために生きてんだか、よくわかんなくなってきた…。

もう、どうしたらいいかわかんないよ。

なんで俺なんか…なんで俺なんか生きてんだよ 。

 

赤子の自分を膝に乗せたた父親の写真。

その古びた写真を握りしめて、晴夫が号泣する場面です。 

 

生きる理由とは何か…

非常に重い問いですね。

 

でもね、つくづく思います。

穏やかに生きるには、人間の脳は発達し過ぎなんですよね。

 

生きる理由が必要な動物なんて、人間の他にはいません。

こんなことを考えてしまうなんて、答えが無くて苦しくなるなんて、

人間とはなんと厄介な生き物なんでしょうか…。

 

<解なし>に答える 

 

何のために生きているのか?

この映画は晴夫の叫びに対して、「母親にその誕生を強く願われたから」という答えを与えます。 

 

本当は、生きる理由なんてないのです。

無いんだけれどそれでは辛いから、無理やり何かを当てはめるとしたら「親がそう望んだから」としか言いようがない。

 

でもその苦し紛れの理由が、意外にも前に進む勇気になったりもするのです。

なぜならそれが、人生最初の「承認」だからです。

 

晴夫の生きずらさの根本には、

<母親に拒絶された>との思いがあるのでしょう。

 

母親は、父と幼い自分を置いて出て行ってしまった。

本当は違うのですが、事情があって父親からそう聞かされていたのです。

 

晴夫はずっと、母親を恨んで生きてきたと思います。過去で出会った母親にも、チクチクと嫌味を言ったりします。

 

でも父親がついた嘘の真相を知ることで、晴夫の心にあった氷塊は静かに溶けていくのです。

 

母親がいかに自分を愛していたか。

自分の誕生をどれだけ願っていたか。

 

なんで俺は生きてるんだと号泣する晴夫と、

<生まれてきてほしい>という母さんの強い願いが、俺の生きる理由なんだと語る晴夫。

 

今、人生に絶望している人すべてに、

こんな心がほぐれるような出会いがあったらなぁと思います。

 

晴夫はその後どうするのかな?

 

晴夫は<現在>に帰った後どうするのか?

 

映画では何も描かれませんが、

そのまま、あのマジックバーで働くのではないでしょうか。

そして多分、もっと楽しそうにマジックをするんじゃないかな。

 

楽しそうにしている人には、福が来るものです。

ありふれた技術でも、自分が楽しんでしていればお客の受けも良くなるはず。

そういているうちに、何かしらの成功があるのではないかな…。

たとえ成功がなくても、晴夫は今よりも幸せな気持ちで生きて行けるような気がします。 

 

ほんのりとした良い映画です。

病室での母子の会話は泣きます!

是非一度、お勧めの邦画ですよ。 

 

 

◆見てみる◆

  

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出典:映画.com

 

◆注意!◆

原作マンガのネタバレがあります

映画とは違う内容なので、

「予備知識なしで原作を読みたい」と言う方はご注意ください。

 

 

 

◆基本情報◆

公開:2018年

原作:眉月じゅん

主演:大泉洋

   小松菜奈

 

あらすじ

17歳の高校生、橘あきら。彼女は陸上短距離のエースだったが、アキレス腱を痛め競技を続けられなくなり、陸上からは遠のいてしまっている。

そんななか、彼女はアルバイト先のファミレスの店長に恋をする。店長は45歳のバツイチ。他の従業員からも頼りない人だと思われているような、パッとしない中年男だ。

最初はあきらの「秘めた恋」だったが、ある出来事から二人の関係は大きく動いていく。

 

「出会う」という奇跡 

 

店長と橘あきらはよく似ています。 

夢を全力で追いかけて、そして諦めて、本当はどうしたいのかがわからない…。

 

もう一度夢を追って、その結果に傷つきたくない。

かと言って完全に諦めきることもできない。

だから同じ場所でぐずぐずと立ち止まったまま、動けなくなっている。

 

そんな時、橘あきらは恋をする。

あきら17歳、店長45歳。

 

ここだけ見れば「え~!」と思うかもしれませんが、それは決して下世話なものではなく、互いに今ここから動き出すために必要な出会いだったのです。

 

互いの心を引っ張り合いながら少しずつ前に進んでいくことができれば、それは最高の出会いなんだと思います。

 

でもそんな出会いができる人は、実はとても少ない。

 

「出会った奇跡」とは歌のフレーズに良くありますが、 それは本当に奇跡なんだろうな、と思います。

 

原作と映画とアニメ版

 

夢を追い続ける事への苦しさと迷い。

そこが主題となっているのは同じですが、それぞれスポットの当て方に違いがあります。

 

私は先に映画を観て、次にTVアニメ(全12話)、最後に原作を今読んている所ですが、それぞれに違った個性があって面白いです。

 

店長の描かれ方

 

映画では「あきらの挫折と復活」に焦点が当てられているので、店長の「橘あきらに対する心の迷い」はほとんど描かれていません。

 

原作での店長の内面は、もっと激しく揺れ動きます。 

 

ただ「恋」の部分を原作そのままに出してしまうと、2時間という枠では全く足りず、無理をすれば下世話で生臭い作品になってしまう危険性があります。

 

映画での店長は、「17歳の女の子に好きだと言われてうろたえている」という部分が中心になっています。

うろたえつつも彼女の気持ちを真剣に受止め、もう一度、元の世界に戻してやれないものかとあれこれ考える。

 

いささか爽やかすぎるきらいはありますが、「映画」としてはこれで成功だったと思います。

  

揺れの少ない映画の店長はとても冷静で、大人の対応をし続けます。

最初に観たということもありますが、個人的には大人でカッコいい映画の店長がものすごく好きです。 

 

ラストの描かれ方 

 

映画のラストは、男女の間柄ではなくて「友達」としての未来を感じさせるものになっています。

 

アニメの終わり方はこれに近いのですが、もう少し「不透明な感じ」を残しています。

別れをを暗示しているのか、それとも続くのか? 

ところが原作では、もっとはっきりとした「別れ」をします。 

 

マンガ版のラスト

 

お正月の雪の中、あきらは手編みのマフラーを持って店長の住むアパートを訪れます。

2人で初詣に行った帰り道、「帰りたくない」と言うあきらに彼は言います。

 

「あの部屋に戻っても、これ以上、俺が橘さんにできることはなにもないよ。」

 

このまま一緒にいると彼女を帰したくないと思ってしまう。 

そんな迷いを払うために、店長は別れを告げる決心をします。 

 

この結末には賛否あったようですが、 

私は、店長にはこの結末以外に、選択肢はなかったんだろうと思います。

 

「45歳」という設定

  

45歳というのは、非常に微妙な年齢です。 

40歳はまだ若い。

でも45歳になると、老齢期へと入っていく、その一歩手前まで来てしまう。

たった5歳の差しかないけれど、この5年はとても大きいのです。

 

体力も気力も、去年よりも確実に落ちて行く。

先が見えてしまうから、挑戦する気も失せていく。

すぐに、もうこのままでいいか…と思ってしまう。

 

外見もどんどん変わる。

できた皺が消えなくなっていく。

重力に負けた皮膚が、みっともなく垂れさがるようになる。

 

そういう情けなさと諦めを経て、人は老人になって行くのだと思います。

その入り口が<45歳>ではないでしょうか。

 

若いとも若くないともいえる、非常に微妙な年齢。

だからこそ迷う。 

 

 

そういう年齢にある人間にとって、相手の「若さ」が重いってこと…あると思います。

 

ちょっとだけ付き合って別れて、それなら楽しいのかもしれませんね。

 

でも真面目に付き合っていこうとすれば、相手の若さはいつか重荷になり、息苦しさになり、結局上手くいかなくなるような気がします。

加瀬君が「君(あきら)と店長は上手くいかない」と言った、その言葉は真実なのではないでしょうか。

 

店長は真面目な人です。

真面目な人ほど苦しくなる。

 

「きれいな思い出として残したい」

 

ありふれた陳腐なセリフですが、でもマンガ版のラストには、このクサイセリフがぴったりくるんです。

それはきれい事でも言い訳でもなく、店長の本心なのではないかなぁ、と。  

 

この先あきらは、どんどん新しい世界を知っていくでしょう。

恋をする、仕事をする、新たな挑戦をする。

そんな彼女を温かく見守るには、店長は若すぎます。

 

 「…今日のこと、俺、きっと一生忘れないんだろうな」 

 

別れを決めた車の中で、店長はそうつぶやきます。

「私だって忘れません!」と言うあきらに「 橘さんは忘れてもいいなんだよ」と言う。

 

45歳の自分にとっては一生忘れられない出来事でも、17歳の彼女には青春の一コマでしかない。今はそうでなくても、きっといつかそうなる。

 

きれいな思い出として残すためには、きっぱりとした別れが必要だったのだと思います。その後一切合わないくらいの別れが。 

 

50歳でもない、40歳でもない。

45歳という年齢が、彼の切なさをよく表していると思います。

上手い設定だなぁと思いますね…。

 

好きなシーンをひとつだけ

 

映画とアニメからひとつづつ。  

 

映画版は小松菜奈さんが上手かったあのシーン。 

「空っぽの中年なんだよ、僕は…」

自分なんて大した大人ではないと言う店長。

ふと見ると、あきらは満面の笑みで店長をみつめています。

 

店長「え? なに、その顔?」

晶 「僕って言った。」

店長「え…?」

晶 「店長、いつもは<俺>って言うのに、<僕>って言った。」

 

<恋する女の子>を上手く表現した良い場面です。

松下菜奈のはにかんだような笑顔が良かったですよね。

 

★★★

 

アニメ版はやはりこれでしょう。

 

店長が夏風邪で休んでいるアパートへ、嵐の中あきらがやってきます。

そして涙を流すあきらを、思わず抱きしめてしまう。

その時の店長のモノローグを、

BGMのAimer「Ref:rain」が盛り上げます。

少し長いですがどうしても書きたい!

 

この感情に名前をつけるのはあまりに軽薄だ。

それでも、今彼女が抱えている不安を取り払って救ってやりたい。

たとえ自分にそんな資格があるとは思えなくても、

この感情を…この感情を恋と呼ぶには、あまりにも軽薄だ。

今このひと時、傘を閉じて君の雨に濡れよう。

どこまでも青く懐かしさだけで触れてはいけないものを、

今、僕だけが守れる。

今このひと時、降りしきる君の雨に、君と濡れよう。

どこまでも青く、青く輝き続けられるように、

今、僕だけが祈れる。

 

非常に美しく、感動的なシーンです。

 

 大人の人にこそ見てほしい、

きっと心に残るお勧めの邦画です。

そしてマンガもアニメもぜひに。  

 

 

◆聞いてみる◆

アニメエンディング曲・ Aimer「Ref:rain」

www.youtube.com

 

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◆参考商品◆

 

最終話の10巻です 

 

<マンガ購入にどうでしょう> 

*体験入会すると600ポイントもらえます。

マンガ1冊605円なので、差額の5円で1巻だけ購入できます!

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「恋雨」の映画もアニメ版も入ってますよ。

 

アニメ版の視聴にどうでしょうか? 

 

「ぼくたちの家族」 男たちのぎこちない頑張りが、気持ちを暖かくさせる映画です

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出典:yahoo!映画

 

◆基本情報◆

公開:2014年

原作:早見和真

主演:妻夫木聡

   池松壮亮

   原田美恵子

   長塚京三

 

あらすじ

東京の郊外に暮らす若菜家。

ある日、一家の主婦である玲子が脳腫瘍を患っていることがわかる。

結婚をして独立している長男・浩介、大学生の次男・俊平、そして夫の克明。

玲子の短い余命を告げられた男3人は、どうにかして玲子を助けようと奮闘する。

 

 

 

女性がいないから

 

妻であり母である玲子が倒れた時、後に残されたのは夫と2人の息子。

男性だけが残された…

ここに姉なり妹なり叔母なりの女性親族が一人でもいると、この話はまた別なものになっていたかもしれません。

長男・浩介の妻が若菜家の騒動に無関心なのも、この映画の味を保つのに役立っています。

 

三人三様、それぞれがそれぞれのやり方で玲子を助けようとするけれど、「一致団結!」とならない所が「男性だなぁ」と思いますねぇ…。

 

ちゃんと説明しない、相談しない、結果が出るまで黙ってる。

実に男性らしい行動様式です。

 

でも逆にそのぎこちなさが、なんだかいいんです。

すっきりいかないからこそ応援したくなる、そんなところでしょうか。 

 

家族の崩壊 

 

「この家族はとっくの昔に崩壊している」

次男の俊平は、深刻な面持ちで家族を仕切る長男・浩介に言います。

 

浩介は中学生の時に引き込もりになっています。

玲子が病気になるずっと前の浩平が引きこもりになった時から、この家族は崩壊している。だから今初めて大変なことが起こったなんて顔をするなと、俊平は言います。

 

家族とは不思議なもので、家族の闇は他の家族へと必ず伝染しますね。

家族の不幸を無視して、関係ないわと明るい顔で暮らすことはできないんです。

 

引きこもる浩平の辛さは家族全員の辛さとなって、当時の若菜家を覆っていたことでしょう。

 

でも考えてみると、よほどの能天気な人間でもない限り、どんな家族でも何かしらの闇を抱え一度は崩壊しているものです。

たとえ表面上はわからなくても、家族一人一人の心の中では崩壊と再生を繰り返しているのではないでしょうか。

 

若菜家は妻・母の死を前にして、これまでそれぞれの中だけで起こっていた崩壊が、一気に家族全体の問題として表面化します。

追い詰められた状態の中で、家族それぞれが本音を言い合い、心の内を吐き出します。

一種の毒消しです。

 

何かの事件でもない限り、本音なんてなかなか言えないものです。

それは家族でも同じ事。

でも本音を吐き出さない事には、崩れかけた人間関係は再生することはできません。

 

崩壊と再生は紙一重。

きわどい線上で、あっちに転ぶかこっちに転ぶかは、やってみないと分からない。

再生していく家族と、そのまま壊れてしまう家族は何が違うのでしょうね。

 

映画では描かれていませんが、

原作ではこの5年後に玲子は死を迎えます。

 

…5年。

家族の再生を果たすには十分な時間だったと言えないかもしれません。

どうしたって満足がいくことなんてないだろうけど、それでも玲子があの時、突然に死を迎えていたなら、この家族の再生はなかったかもしれません。 

 

好きなシーンをひとつだけ

 

玲子が病院の談話室で語り続けるシーンがあります。 

「でもねぇ…私、

お父さんと別れたくないの。

辛いけど…

あの人のことが好きだから。」

 

次男の俊平が穏やかに言います 

「良かったな、おやじ。

今の、おふくろの本音だぜ」 

 

夫冥利に尽きるセリフですね。

直前に夫の頼りなさについて無茶苦茶言ってるだけに、最後のこのセリフが生きています。

 

今度は本当に、取り残されることになってしまう3人。

そこからまた、それぞれの再生が始まるのでしょう。

「しっかりしなさい!」と応援したくなるような、そんな良い映画でした。

お勧めの邦画です。

 

 

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